坂本龍一とおれとオレと俺
今の俺
俺はバンドマンしてます 4/2はライブでした
演奏が終わって最高の気分になっているタイミングでネットニュースを見たメンバーから坂本龍一の訃報を伝えられキツかった
ノンアルで打ち上げに出て 帰り道で耐えきれなくて路駐して1時間ボーッとしたあと家に着いて とりあえず/05を部屋で流して今文章書いてます 俺は坂本龍一が好きです
小4のおれ
クラシックがあまり刺さらなかった小4のおれ
ピアノの先生がEnergy Flowの楽譜を持ってきてくれて、発表会で弾こうよ!と提案してくれた
先生はピアノ発表会の曲決めで、手焼きのCDにオススメ曲をいくつか入れてラジカセで聞かせてくれていた 小1〜小3は一番楽に弾けそうなものを選んだ
Energy Flowがラジカセから流れ、聞いた事のない響きに興奮したことを覚えている 即決だった
はじめに貰ったかんたんverの楽譜
(多分ピアノスタイルとかのやつ)
は後半のアツくなるパートが単音でオクターブじゃなかった
あっという間に暗譜して、せんせー難しいverちょーだい!と頼んだ 人生で一番楽しくピアノ練習してたんじゃないかなこの時 ピアノが好きになったし 習い事が音楽に変わる転機だったと思う
うちのピアノ教室はヤマハとかじゃないから小4のおれがNo.2くらいの年長者で、他はちびっ子ピアニストばかりだった 発表会で先生とかちびっ子ママ達とか、マダムズがめちゃくちゃ褒めてくれて嬉しかったし調子に乗っていた ヒーローの気分で家に帰った 好きな音楽を好きに演奏している状態を褒めてもらえる事が気持ちよかった これは相当気持ちよかった 坂本龍一ありがとう
のちにドビュッシーだのサティだのを弾いた
坂本龍一が彼らを敬愛している事を知った時驚いた うちのピアノの先生は生徒思いなのだな
坂本龍一をさかもっちゃんと呼んでいたら笑われた 笑ってくれたことが嬉しく しつこくさかもっちゃんと呼び続けた
母が/05のCDを買ってきてくれた
うちの母は任天堂DSを買ってくれない代わりに音楽についてはいくらでもお金をかけてくれた
父所有のバカみたいにデカいオーディオシステムで200周くらい聴いた 子供は同じ絵本を100回読む生き物だ
Tibetan Dance、Amore、Happyend、千のナイフをよく聴いた ポリリズムだったりミニマルだったりが好きだったんだな
Rainforestは怖いので毎回飛ばしてた
高校生のオレ
確か高1の頃、聴きすぎて逆に存在を忘れていたさかもっちゃんがテレビに出ていた スコラだ
ちょうど民族音楽とか現代音楽とか扱ってる一番面白いシーズンで、録画して何十回も見た ミュージックコンクレートという言葉の響きが好きだった デモの演奏が毎回素晴らしく、このおじさんとこのおじさんに関わる全ての人間について知りたいと思った
いわきのブックセンターの新書コーナーが好きだった ユッキー著の新書を買ってきて 半分くらい服の話してて凹んだ
もっちゃん著のハードカバー 音楽は自由にする を買ってきて 半分くらい学生運動の話してて凹んだ
スコラに出てる岡田先生の本を買ってきて これはちゃんと面白かった
関連で、情報音大の院とかマジで狙おうと思ってた 無知って凄いな
本屋の手伝いでゲットしたバイト代を全てCDと本に注ぎ込んでいた 受験生の俺は勉強が上手くいかずインプット中毒になっていた
高3の5月にAmazonでCDを購入した事により、YMOにちゃんとハマった それまではフジテレビネクストのフジロック出演映像を録画してガン見したり(東風イントロの音がフィルター切りすぎて音程分かんなくなってるやつ)、ダメ寄りの演奏動画(なんちゃらmp3みたいな)を落としてBOSSのMicroBRに入れて聴きながら登下校している程度だった
東風とマッドピエロを泣くほど聴いた
自分の幼さ、頭の悪さ、部活でやってる剣道の弱さが嫌で仕方なく、ソロ下校時は爆音で音楽を聴く流れがあった 毎日そうだった
シンセの音色を聴くと安心だの尊敬だの懐かしさだのが溢れてしまってポロポロ泣いた
家にシンセが無く ギターにハマっていた俺はZOOMの安いマルチでミョンミョンとした音を作り、フェンダーの30wくらいのアンプをフルテンにしてYMO楽曲のメロを弾きまくった 畳の部屋で
どう考えても受験勉強した方が良い
まあ必要だったのだろう
ソリッドステイトを買った ビハインドイントロのホワホワが好きだった ライディーンはリードよりアルペジエーターの音が好きだった
ハマるにつれ、どうやら細野さんが人気である事が分かってきた なんじゃい、さかもっちゃんの方がカッコいいに決まっとるやろがい 対抗心があった
俺は歌より楽器演奏が好きなので他も聴いたがあまりハマらなかった バラエティ出演を見て悲しくなった 人間が消費されるものであるかように思えた 当時の俺は頭が硬かった
HEY!HEY!HEY!で笑ってる女ども、今貴様らの前で浜ちゃんにツッコまれている御三方は途轍もない才能をお持ちの大音楽家なのだぞ 土下座した状態のまま家に帰れ と思っていた
高2の頃バイト代で買ったスピーカーがある
家族に怒られないスレスレの音量でわざと尖った音楽を流す趣味があった
スコラのサンプリング手法の説明にEsperantoのA RAIN SONGが使われていてなんじゃこりゃとなった これを延々と流し妹に怒られた 俺は妹がセカオワを毎日熱唱していた時期にその倍怒った
Esperantoはマジで良いアルバムで、コンセプトにも惚れていた 天才だと思った
9mmのSEのお陰でATARI TEENAGE RIOTが中3から大好きだった 友人が焼いてくれたCDを聴きまくった riot in Lagosの曲名を見て「ライオットじゃん!」とか言ってB-2を買った メロディがこんなに揺れてて良いんだな と思っていた デチューンというワードを知ったのはその後だった
千のナイフ買った辺りで/05≒小4振りの 大・坂本龍一ブームが来た ヴォコーダー朗読パートも律儀に飛ばさず聴いていた 今もそうだ 聴くメンタルがセットされる グラスホッパーズのやっつけみたいな終わり方を聴くたび イェーイと声を上げていた
東京ジャズかなんかの映像で、山下洋輔と渡辺香津美が遠州つばめ返しを演奏していて 録画して300回見た それで渡辺香津美を予め知っていた
千のナイフ4:20〜あたり
なんだこのヘンテコなギターの音は ドソドーじゃねえんだよ とか思って聴いてたらフレーズはめちゃくちゃカッコよくて、クレジット見たらカヅミが出てきて驚いた 天才同士って繋がってんのねハハーンと思った
THE END OF ASIAが大好きだった
エイジアエイジア言ってた カッコいいと思ってたから ミッミソー!!がうるさくて良い という話をギターの先生にした よく分からんと言われた
この曲聴きながら大股で歩くと早く家に着けるのでよく再生していた
父方の実家が宮城にあり CDがたくさん置いてある そこでウラBTTBを借りて10年返していない だってカッコいいから…
/04ブームもあった 小4の気持ちになった 04てそういうこと?違います
音楽図鑑買って カッコいいのは分かるけどあまり刺さらなかった
ノーニュークスで元気にしててモヤっとした
大学生の俺
DJとかDTMやるサークルに入った
俺より何倍もYMOが好きな先輩と仲良くなれて嬉しかった 歌無しの曲の話ばかりしてしまって当時は申し訳ない気持ちもあった
音楽科に通っていたので坂本龍一を知っている人間がチラホラといてこちらも嬉しかった
作曲科の先輩がさかもっちゃんの影響をほんのちょっと受けた(かのように当時の俺には聞こえたのだ)楽曲を公開していて繰り返し聴いた
再生機器すら持っていないのにソリッドのレコードを部屋に飾る大学生を死ぬほど憎んでいた
ずっと坂本龍一の体調が心配だった
大人になった俺
見込みがあるな(強豪校顧問)と感じた友人に/05を無理矢理聴かせていた
※これを読んでいる人は俺の友達がほとんどだと思うんで ちゃんと返してくれそうならいつでも貸しますこのCD
配信見たり 心配したり
昨夜
会って話がしたかったな と思った
おわりです
安らかに